研究・教育

2021.05.28 Report

社会人大学院生 林俊行 インタビュー

1.神経内科を目指した訳

 もともと、中学高校生のときから、人の心に興味がありました。なぜロックが好きな人がいれば演歌が好きな人がいるのか、自分の見える赤と他人が見える赤は同じ色なのか、意識というものはどこから生まれてくるのか。心理学科に行こうと考えていた時期もありましたが、教養で心理学を学んで精神科医になろうと思い、医学部を目指しました。

 臨床医学の講義で、精神科以外に脳を扱う診療科として神経内科という分野があることを知りました。ぼんやりと、どちらかを選ぶんだろうなと思っていましたが、学生の時に、神経内科がいいなと思ったきっかけがありました。今でもその光景は鮮明に覚えているのですが、外来の先生の後ろについて実際の診察を診る実習がありました。そこに初診で物忘れが主訴のおばあちゃんとその夫がブースに入ってきました。学生の自分が見ても分かる程度の認知機能低下があり、診察の最後に先生が、他に困っていることはありますかと尋ねると、おばあちゃんは笑顔で、主人がいつもそばにいるので困っていることは何もありませんとおっしゃいました。ご主人が照れくさそうに笑っていた光景を見て、こんな人の力になりたいと思いました。と同時に、やっぱり脳って不思議だなと思いました。

 精神科か神経内科かは研修医の最後まで悩んでいました。精神科領域の研究にはとても興味が惹かれていましたが、実臨床はあまり自分には合わないと思い、神経内科を選びました。

2.10年後の自分像

 神経内科という領域は、非常に膨大です。血管内治療を自信をもって提供できる腕を磨きつつ、パーキンソン病の脳深部刺激療法の設定調整を外来で行う、というようなことは、難しい、ではなく、不可能だと思っています。つまり、神経内科医でありながら、神経内科医しかできない分野を切り捨てなければなりません。その切り捨てる分野は、医学の進歩に伴い、増えていくことが予想されます。

 しかし一方で、神経内科医であればこれぐらいできて当然だろうという領域も、同じように増え続けます。これを常にupdateし続けることは、決して簡単ではありません。さらに言うと、神経内科医である以前に内科医として、最低限の知識も蓄え続けなければいけません。

 10年後の自分は、まず臨床医として、内科・神経内科の中のどの領域においても、最低ラインの最新の医療を提供できる医師でありたいと思っています。

 同時に、その自分たちが行っている実臨床を、そのままにするのではなく、記録して集積することで、患者に還元できればいいなと思っております。研究をしたいという野望はありませんが、診療の記録をそのままにするのはもったいないと感じており、論文として形に残せればいいなと思っています。

3.どうして大学院に入学しようと思ったのですか?

 動物実験ってどんなのだろうな、と思った時期がありました(やっていませんが)。

4.先生が国内留学、国内研修を経験されたようですが、留学してよかったですか?後輩たちに勧めますか?お勧めする理由は何ですか?

 留学できたことにとても感謝しています。お勧めします。

 自分は1年間、東京都立神経病院に行かせていただきました。そこは約300床の全てが神経疾患の病床で、脳卒中以外の、小児や外科領域も含めた膨大な患者が集まります。自分は特に電気生理検査を学んで来ました。日医や関連病院にいれば触れ合えなかった患者さんを見る経験や知識が増え、とてもお勧めです。

 神経内科専攻医になると、毎日が勉強で、きりがないと思うようになります。例えて言うなら、自分が日本という島国にいて、海の向こう側に何があるのか分からない状態です。そのうち勉強を続けていると、海を渡ると大陸があり、自分が勉強してきた違う分野が交わり、西と東がつながっていることが理解できます。しかし、学会に行くと、知らない病気、知らない検査、知らない治療法があることを知り、実は膨大な宇宙の中にある地球という一つの星しか理解できていなかったことを悟ります。

 何年か経つと、宇宙には果てがあり、そこがどんどん広がっているのが見えてきます。

 もし自分の興味がある分野があり、その宇宙の果ての開拓を留学先で見ることができたなら、それはとても面白く感じると思います。

5.休みの日はなにをしていますか?

家にはもうすぐ2歳になる娘がいます。娘とともに(遅く?)起き、娘と遊び、娘と買い物に行き、娘とご飯を食べ、娘と昼寝をし、夜に娘が寝てから、自分の勉強や研究をしています。